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絹本著色日本血脈相承真影 1幅

2019年1月9日

ページ番号:8986

絹本著色日本血脈相承真影

けんぽんちゃくしょくにほんけちみゃくそうじょうしんえい

分野/部門

有形文化財/美術工芸品〔絵画〕

所有者

宗教法人 萬福寺

所在地

大阪市東淀川区柴島2

紹介

絹本著色日本血脈相承真影写真

 萬福寺は真宗本願寺派の寺院である。弘安年間(1278~1288)に親鸞の弟子である空専が創建したという。もとは仏光寺派に属していたが、寛正年間(1460~1466)に本願寺派に転じたと伝える。

 仏光寺派は、鎌倉時代の末に7世了源のもとで発展をとげ、大きな勢力に拡大した真宗の一派である。大阪ともゆかりが深く、12世性善や13世光教は摂津平野に隠居しており、大阪に仏光寺派の勢力がひろく及んでいたことを示している。淀川流域にも多数の仏光寺門徒が居していたと考えられる。

 本願寺教団が蓮如のもとで飛躍的に勢力を拡大した際に、仏光寺の48坊のうち42坊が蓮如に従った。淀川流域の仏光寺門徒も、この時に本願寺派に転じたものが多いと思われ、それらの門徒が、中嶋衆と呼ばれる本願寺教団を支える有力な門徒集団となった。中嶋衆は『天文日記』にもその名が頻出し、海老江(現在の福島区海老江)、野里(西淀川区野里)、三番(東淀川区豊里)、大和田(西淀川区大和田)、幣嶋(御幣島)などに道場を構えていた。

 この萬福寺のある柴島の道場は『天文日記』には見られないが、寛正4年(1463)に蓮如が法実を願主として下付したことを記す裏書を伴う日本血脈相承真影が伝来している。この画像は、源空にはじまる日本の高僧20人を描いたもので、萬福寺の開山とされる空専の名も見える。制作は15世紀中頃と考えられ、図様的にも他の類例は限られており貴重なものである。この種の画像は主に仏光寺派で用いられるもので、それに蓮如の裏書が付随しているということは、おそらく仏光寺門徒が本願寺派に転じる際に、蓮如がもともと彼らが所持していた画像に裏書を与えたものと考えられる。仏光寺門徒の本願寺教団への転派の過程を示す画像であり、中嶋衆の成立、さらには大阪の中世史を考えるうえでも重要な史料である。

用語解説

血脈相承(けちみゃくそうじょう) 師が弟子へと法脈を伝えること
天文日記(てんぶんにっき) 本願寺10世証如の天文5年(1536)~天文23年(1554)の日記。戦国期研究の重要史料とされる

参考文献

信仰の造形的表現研究委員会編『真宗重宝聚英』第8巻(同朋舎 1988年)136頁
『大阪の町と本願寺』(大阪市立博物館 1996年)53頁

 

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