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崇禅寺文書 一括(5点)

[2009年3月16日]

所有者

宗教法人 崇禅寺

所在地

東淀川区東中島5-27-44

紹介

崇禅寺文書/写真

 崇禅寺は東淀川区東中島に所在する曹洞宗の寺院である。足利義教、足利義政、細川持賢など、室町幕府の要職にあった人物たちとの因縁を持ち、淀川流域の中島と呼ばれる地域の歴史を考える上で重要な寺院である。嘉吉元年(1441)の嘉吉の乱で没した足利義教の菩提のために、嘉吉2年(1442)西成郡守護で室町幕府の重鎮のひとりである細川持賢が、この地にあった観音堂を発展拡充させるかたちで建立したのが崇禅寺である。持賢は中島地域の所領を崇禅寺に寄進し、西成郡守護である自身、細川管領家、さらには室町幕府が、中島地域を支配する上で、中核となる経営拠点を築いた。在地の土豪層からの寄進や、欠所地の吸収なども相次ぎ、崇禅寺は広大な寺領を有することとなった。
 崇禅寺に伝来する5点の中世文書のうち、嘉吉2年(1442)4月29日付の細川持賢寄進状は、足利義教の菩提のために建立する旨に加えて、所領として乳牛牧及び福島村の欠所を寄進することを記した、崇禅寺建立の端緒を示す文書である。文安6年(1449)3月30日付の細川勝元安堵状、長禄2年 (1458)7月5日付の足利義政御教書、長禄4年(1460)3月30日付の細川勝元施行状の3通は、いずれも崇禅寺の寺領を安堵する趣旨である。寛正 2年(1461)12月26日付の中島崇禅寺寺領目録は、中島地域に所在する寺領について、耕地一筆ごとに字地、反別、四至、石高、耕作人、課役などを書き記した寺領支配の台帳となる検注状である。乳牛牧、野田、福島、曾根崎、野里などに寺領は及んでおり、支配構造をうかがううえで貴重な史料であるだけでなく、当時の集落や地名の記載も豊富であり、中世の中島地域の地理的な様子を包括的に知ることができる。
 開基である細川持賢を描いたと伝えられている画像は、類例もなく貴重なものだが、賛や像主銘はない。梅の小花を散らした直垂と小袴を着け、烏帽子を被り、高麗縁の上畳に、前方左斜めを向いて座る姿を描いている。画像の上半3分の1は後代の補絹で、彩色の剥落が目立つが、大きく眼を見開き、髭をたくわえた威厳のある表情がうかがえる。剥落の影響もあるが、筆致は大まかで荒く、面相の各部分の描写にも形式化が感じられる。制作年代は、持賢の没年である応仁2年(1468)までは遡らず、室町時代末から江戸時代と思われる。

参考文献

大阪市教育委員会『大阪市文化財総合調査報告書46 大阪市内所在の古文書・典籍 崇禅寺文書について』(2003)

大阪市教育委員会『大阪市文化財総合調査報告書47 大阪市内所在の仏像・仏画 崇禅寺十一面観音菩薩立像について』(2003)

 

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