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「折口信夫(おりくちしのぶ)生誕の地」の碑と文学碑

2015年4月1日

ページ番号:863

折口信夫生誕の地の写真

所在地:浪速区敷津西1丁目7番(鴎町公園内)

 国文学者・歌人・民俗学者として知られる折口信夫は、明治20年(1887年)2月医師折口秀太郎の四男として当時の西成郡木津村市場筋に生まれました。国学院大学を卒業、のち2年半ほど府立今宮中学校(現今宮高校)の教壇に立ち、その後、国学院大学の教授となり、柳田國男の影響を受けつつ、自分でつかんだ民俗学を国文学に取り入れ新境地を開きました。釈迢空は歌人としての筆名です。昭和28年(1953年)9月に亡くなり願泉寺に分骨埋葬されました。市制 70周年記念として碑が建立され、昭和58年(1983年)には「十日戎」の一文を刻んだ文学碑が建てられています。

 大阪市顕彰史跡・顕彰碑
  
 

折口信夫文学碑の写真

◎文学碑(碑文)
ほい駕籠を待ちこぞり居る人なかに
 おのづからわれも待ちごゝろなる
     
 正月がすむとすぐ十日戎である
今宮の戎前から難波の入堀(いりぼり)川に面
したお藏跡(くらあと)まで十丁あまりの間に
ずつと子寶(こだから)店その外の店が出て
揉み返すやうな人ごみである 其
中を壓され壓されて來る色町のほい
駕籠を見に出た記憶が消えない
     
 折口 信夫全集より
 

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