「大阪国技館跡」の碑
2015年4月1日
ページ番号:915
所在地:浪速区恵美須東3丁目4番
大阪と相撲とのかかわりは古く、江戸とならんで相撲の興行が盛んで、大阪相撲の伝統が築かれていました。明治11年(1878年)には大阪相撲協会が設立され、明治38年(1905年)に難波新地に常設の興行場所が設けられました。
大正8年(1919年)9月には、東京両国の国技館に対抗して、この地に鉄筋コンクリート・煉瓦造、建築面積約2,000平方メートル、ドーム式の大阪国技館が建設されました。しかし協会内部で紛争が続き、組織自体が衰退していきました。昭和2年(1927年)には東西相撲の合併で大日本相撲協会が設立されると、相撲興行の中心は東京の両国国技館となりました。国技館の建物はしばらく残っていましたが、第2次世界大戦前に解体されたようです。
大阪市顕彰史跡・顕彰碑
[碑文]
大阪国技館跡
大阪相撲の興行場所として、大正八年(一九一九)この地に大阪国技館が建設された 第二八代横綱朝日山が大阪市の土地を借り受け建設したもので 昭和戦前までこの地にあった