「難波御蔵・難波新川跡」の碑
2015年4月1日
ページ番号:880
所在地:浪速区難波中2丁目10番
江戸時代に幕府直轄の天王寺御蔵と難波御蔵の二つが当区にありました。ことに難波御蔵は享保17年(1732年)飢饉に際して設けられ、幕府直轄の米蔵が置かれたところでした。東西126m南北324mの敷地に米蔵八棟を有し、災害時の救援米貯蔵の役割を担っていました。翌、享保18年(1733年)道頓堀の湊町付近から難波御蔵への水運をよくするため堀川を掘ったのが難波新川です。明治11年(1878年)いたち川と連絡しましたが、昭和33年(1958 年)には埋め立てられ姿を消しました。
大阪市顕彰史跡・顕彰碑