「小西来山十萬堂(こにしらいざんじゅうまんどう)跡」の碑
2015年4月1日
ページ番号:877

所在地:浪速区恵美須西2丁目1番
承応3年(1654年)平野町(現中央区)の薬種問屋に生まれました。
元禄時代の代表的な俳人で、西山宗因の門下として談林調の道化や駄洒落に陥らず、芭蕉の「さび」にも通じる作風を示しました。晩年、今宮の地に居を構え「十萬堂」と名づけ閑静な余生を送りました。
“時雨るるや しぐれぬ中の 一心寺”の句は、今宮の地から当時草原だった新世界、動物園を隔て眺められた実景と言われ、一心寺(天王寺区)に句碑が立てられています。
大阪市顕彰史跡・顕彰碑
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